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2017年5月

2017年5月24日 (水)

20年(6)

ちょうど20年前の今日は、神戸市の「須磨ニュータウン」友が丘地区で、土師守氏の二男、土師淳君(当時11歳)が行方不明になった日である。

 

淳君の遺体を司法解剖した医師は、淳君の胃の内容物がほとんど未消化の状態であり、十二指腸にも送られていなかったことから、淳君の死亡推定時刻を、本人が家を出て間もない午後140分頃と推定している。

 

ところが、淳君を殺害したとされるAの調書によれば、家を出た淳君に声をかけ、二人の自宅の裏手にある小さな丘稜地(通称「タンク山」)に連れて行って、乱闘の末、首を絞めて殺したことになっている。この調書どおりに犯行が行われたとすれば(家庭裁判所の決定でも同様の認定が行われている)、胃の内容物はかなり消化が進んでいるはずである。

 

この一点をもってしても、Aの供述には信用性がなく、家庭裁判所の事実認定に誤りがあることは明らかである。もちろん、他にも矛盾は多く存在し、すべてを書いていくときりがなくなるほどだ。

 

神戸事件(1997年)をめぐる主な疑問点・争点50項目

 

元少年Aなる人物が書いた手記には、これらの疑問点に答える記述がまるで存在しない。あの本は、A少年が無実ではないのかと考えている人々にとって、あの荒唐無稽な検事調書と同じくらいリアリティのない作文に過ぎない。

 

報道によれば、Aはあの手記を出版した後、両親から直接会いたいとの連絡を受けたが、「気持ちの整理がついていない」として、面会を拒んでいるという。あのような「開き直った」との印象を受ける程の手記を出版しながら、「気持ちの整理がついていない」とはどういうことなのだろうか。

 

あの日から20年経った今でも、事件は未解決のままだと思えてならない。

 

2017年5月23日 (火)

20年(5)

自分にとっては、神戸事件の冤罪説を知ったことが、弁護士という仕事を志す動機の一つになった。

 

法科大学院に提出した志望理由書にはこんな風に書いた。

 

「私が、本気で法律の勉強をやる気になり、弁護士を目指そうと決意した大きなきっかけになったのは、ある事件について知ったことであった。

 それは、1997年に起こった神戸市における児童殺傷事件である。いわゆる『酒鬼薔薇事件』として世に広く知られたこの事件では、当時14歳の少年が逮捕され、医療少年院に送致されたことで、社会に大きな衝撃を与えた。

 

小学生の頭部を切断して学校の前に晒すという未曾有の残虐性に加え、血のような赤い文字で書かれた特異な犯行声明文や、後に雑誌に流出した少年の供述調書、そして少年が書いたとされる悪魔的な文章が人心に与えたインパクトは強烈なものがあった。この事件をきっかけに、凶悪化する少年犯罪の処遇が問題となり、少年法改正(厳罰化)にもつながったことは、まだ記憶に新しい。

 

この事件から数年が経ったある日、私は偶然本屋であるジャーナリストが書いた本に出会い、この事件が冤罪であるという説が存在することを知った。思わず我が目を疑った。しかし、少年が犯人であることを示す物的証拠がはっきりしないことや、明らかに不自然な供述調書の数々の矛盾点など、事件を詳しく見ていけばいくほど、少年を犯人と断定することに疑問が生じることは確かであり、冤罪説は説得力ある主張として私に深い衝撃を与えた。

 

この事件が本当に冤罪であるか否か、私には未だに判断がつかない。しかし、これをきっかけに、書物を通じて他の事件についても自分なりに色々と調べていく中で、日本には過去に重大な冤罪事件がいくつも起こっており、おそらく今も起こり続けていることを学んだ。そして、その原因には、代用監獄や自白偏重主義など日本の刑事裁判の抱える制度的な問題があること、無実の市民を冤罪から守ることができるのは、確固たる信念を持った弁護士の力が大きいことを知った。このとき、私の中に、弁護士になりたいという強い思いが生まれた。・・・」

 

2017年5月22日 (月)

20年(4)

 

神戸事件は、少年事件という性質もあり、成人における刑事裁判のような厳密な犯罪の立証が行われなかった。そのため、事実認定は専ら少年の自白に基づいて、客観的証拠との整合性を突き詰めることなく行われている(後に、この事件を教訓とした少年法の改正により、少年の重大犯罪については検察官への逆送という制度が設けられた)。

 

 

 

詳細は述べないが、少し見ただけでも、少年の犯行とするには以下のような客観証拠との矛盾が存在する。

 

(1)被害者の頭部の切断面と凶器との矛盾

 

(2)被害者の胃の内容物と殺害時刻の矛盾

 

(3)被害者の死斑と遺体状況の矛盾

 

(4)遺体頭部発見時の目撃証言と少年の外見的特徴との矛盾

 

 

 

これらの矛盾を最初に指摘したのは、「神戸事件の真相を究明する会」という団体の作成したパンフレットである。その冊子は、少年が逮捕され家裁審判が行われた1997年9月の時点で早くも、客観的事実から見て少年が犯人ではありえないという主張を行い、パンフレットを配布している。前述の『神戸事件を読む』という著書の内容も、概ねこの冊子の主張に依拠している。

 

 

 

このパンフレットの主張は極めて具体的で、内容も説得的であるにも関わらず、マスコミはもちろん、事件に関心を持つ人々の間でもほとんど無視された。これは、パンフレットの作成主体が左翼過激派の革マルであるという風説が立ち、冤罪派=革マルという印象が流布していたことが一因となったと思われる。後藤昌次郎弁護士はじめ、党派的主張とは無関係な人々が冤罪派に加わった後も、この印象を完全に払拭することはできなかった。

 

 

少年A=酒鬼薔薇聖斗というイメージを徹底して一般大衆に刷り込んだマスコミにとって、説得力のある冤罪説を取り上げることは自己否定であり自殺行為に等しいという判断から、大手メディアが冤罪説について触れることをタブー視したという事情もあった。

 

 

結果的に、神戸事件は、いくつもの不運が重なったことにより、真相究明が極めて困難となったと考えている。

 

2017年5月21日 (日)

20年(3)

少年の検事調書では、彼は外出中の被害少年に声をかけ、二人の自宅の裏手にある小さな丘稜地(通称「タンク山」)に連れて行って、乱闘の末、首を絞めて殺し、そこに遺体を隠し、その後、首を切断することを思い立ち、再びタンク山に行って、糸ノコ(後に金ノコに訂正)で首を切断し、頭部を自宅に持ち帰ったとされている。家裁でもほぼその通りの事実認定が行われていることから、雑誌に掲載された自白調書は本物と考えてよいと思われる。

 

しかし、被害少年の父親の手記によれば、遺体には犯人に対して抵抗した跡がまったく見られないとされていることに加え、タンク山の付近は5月24日夜に行方不明の被害少年の捜索が開始されて以来何度も捜索の対象となっている場所であり、遺体が少年の供述通りの場所に置かれていたとしたら、捜索隊によって発見されないということはまずありえない。すなわち、タンク山で格闘の末に被害少年を殺害し、そこに遺体を隠したという少年の自白は客観的状況と矛盾し、内容自体が極めて不自然である。

 

さらに、詳細は省略するが、殺害方法もきわめて不自然であり、自白調書は全体として検事による作文か少年が苦し紛れに作り出した想像の産物としか思えない内容になっている。このような内容の調書が公表されたにもかかわらず、そこに不自然さを読み取る声がほとんど上がらなかったことは、それまでの報道による少年A=酒鬼薔薇聖斗というイメージの刷り込みがいかに強力なものだったかを示している。

 

つづく

2017年5月20日 (土)

20年(2)

この事件に関心をもつきっかけになったのは、本屋で偶然見かけた一冊の本だった。

 

『神戸事件を読む―酒鬼薔薇は本当に少年Aなのか?』(熊谷英彦著)と題されたその本は、あの「少年A」は無実ではないのか、という視点から、日本中に大きな衝撃を与えた「神戸事件」の真相を検証していた。

 

それまでマスコミの報道を鵜呑みにし、少年が犯人であると思い込んでいた私にとっては、青天の霹靂のような主張であったが、その本を読み進めるうちに、あの少年が真犯人であると断定するにはいくつもの合理的な疑問が存在するような気がしてきた。

 

まず、少年を逮捕する時点では、犯行と少年を結びつける明確な証拠は存在していなかったことである。

 

警察が少年を任意同行し取り調べた時点で最も証拠価値の高いものは、兵庫県警の捜査機関による少年の作文と犯行声明文を対比した筆跡鑑定であったが、その結果は、「同一人の筆跡であるとは断定しがたい」というものであった。

 

しかし、警察の取調官は、「物的証拠はあるのか」との少年の質問に対し、筆跡鑑定の報告書をパラパラとめくって示すなどして、物的証拠があるかのように装い、自白を誘導した。

 

これは「偽計による自白の騙取」であるとして、神戸家庭裁判所の決定においても証拠排除されている。

 

しかし、警察の取り調べの直後に行われた検察官の取り調べでの自白調書は、証拠能力を持つとされた。なぜなら、両者の取り調べは異なる主体によるもので、検察官は取り調べに当たって黙秘権を告知しているから、先行自白の影響は遮断されているから、というのが家裁決定の理屈である。

 

結局、他に有力な物的証拠の存在しないまま、少年の自白のみにより神戸事件は彼の犯行であるとされた。

 

そして、後に文芸春秋で公表(流出)された彼の自白調書の内容は、およそ現実に犯行を行った者によるとは思えない、客観的状況とも矛盾する、荒唐無稽な内容であった。にもかかわらず、その犯行態様と自白内容の異様さによって、「少年A=モンスター」というイメージのみがますます強固なものとなってしまった。

つづく

20年

今からちょうど20年前の1997年の5月、日本中を震撼させた衝撃的な事件が起きた。

 

行方不明になった小学4年生の子どもの遺体の頭部が中学校の正門に晒されるという異様な犯行を、マスコミはセンセーショナルに報じた。

 

6月下旬に逮捕された「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る犯人が、まだ14歳の少年であると報じられたとき、さらなる衝撃が走った。

 

家庭裁判所の決定により少年は医療少年院に送致され、2005年には仮退院という形で社会に復帰した。

 

その「元少年A」が、2015年に手記を出版し、大きな話題となった。今でもあの事件が与えた衝撃は消えていない。あの事件をきっかけに少年犯罪の問題がクローズアップされ、少年法改正による厳罰化(処罰年齢引き下げ)につながった。

 

この事件は、自分が弁護士を志すきっかけになった事件でもあるので、この機会に感想を書いておきたい。


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